多摩中心に活動する管理人の撮影ブログ。(since 2007.4.1) 2020年からは西日本に移動。
国分寺から多摩湖線を経て小平の変遷まで見てきたが、
今回は少し新宿線へはみ出し、東小平駅の変遷を見ていく。
まずは東小平駅の歴史から。WIkipediaより。
1940.04.23 旧西武鉄道村山線の小平駅と花小金井駅の間に開業
1944.09.10 東京都の要請により糞尿輸送の貯留駅に指定され、側線と貯留槽を設置して貨物営業開始
1951.xx.xx 糞尿輸送休止
1953.03.31 糞尿輸送廃止に伴い貨物営業廃止
1954.10.10 小平駅に統合して廃止
15年ほどの歴史しかない東小平駅だが、現在でもその痕跡は残っている。
現在は撮影地としても有名な昭和病院前のS字カーブ付近に存在した。
1941.6.25
まだ糞尿輸送を開始する前の東小平駅。
2面2線のホームが確認できる。
1944.10.22
1941年から大きな変化は見られない。
既に糞尿輸送は開始しているはずだが、画質が悪く貨物側線の位置はわからない。
Wikipediaによると、設備やダイヤの調整が間に合わず本輸送は11月21日にずれ込んだとあることから、
1947年の航空写真から位置を逆算すると設備の建設が間に合っていない可能性もあると考えられる。
1947.10.24
貨物側線がよく確認できる。
同様に糞尿輸送の貯留槽があった駅として、東村山駅がある。
東村山市史研究第22号(東村山市、2013年)によれば、東村山駅では糞尿輸送廃止後、跡地に西武鉄道の社宅を建設した。
1947年の航空写真を見ると、その社宅の位置には確かに白い長方形のプールのような建造物が確認できた。
以上より、東小平駅の貨物側線南東、道路に面した白い長方形の建造物が糞尿の貯留槽と推測する。
1947.11.14
3週間程度ではやはり変化はない。日の関係でよく見える。
1956.4.13
画質が悪く判断が難しいが、側線スペースはそのままに貯留槽関連の建造物がなくなったように見える。
東小平駅ホームはまだそのままか。
1961.9.5
駅ホームが撤去され、空き地となった。
貨物側線も完全に撤去され、建物が建った。
1974.12.26
ホーム跡地は空き地のままに、周囲に建物が建った。
貨物側線跡地は工場となった。
1979.10.8
1974年から大きな変化は見られない。
1984.10.26
1979年から大きな変化は見られない。
1992.10.10
1984年から大きな変化は見られない。
2008.5.6
貨物側線跡地の工場がなくなり、墓地となった。
東小平駅跡地は上下線とも空き地のままである。
東小平駅跡地は今も空き地のまま、西武鉄道が所有している模様。
貨物側線跡地は墓地の駐車場および公園へ転用された。
東村山駅とは異なり、糞尿貯留槽跡地は住宅には転用されなかったようだ。
数十年も経てば糞尿など誰も気にしないか。
航空写真は国土地理院ウェブサイトを出典とし、加工して作成した。
今回は少し新宿線へはみ出し、東小平駅の変遷を見ていく。
まずは東小平駅の歴史から。WIkipediaより。
1940.04.23 旧西武鉄道村山線の小平駅と花小金井駅の間に開業
1944.09.10 東京都の要請により糞尿輸送の貯留駅に指定され、側線と貯留槽を設置して貨物営業開始
1951.xx.xx 糞尿輸送休止
1953.03.31 糞尿輸送廃止に伴い貨物営業廃止
1954.10.10 小平駅に統合して廃止
15年ほどの歴史しかない東小平駅だが、現在でもその痕跡は残っている。
現在は撮影地としても有名な昭和病院前のS字カーブ付近に存在した。
1941.6.25
まだ糞尿輸送を開始する前の東小平駅。
2面2線のホームが確認できる。
1944.10.22
1941年から大きな変化は見られない。
既に糞尿輸送は開始しているはずだが、画質が悪く貨物側線の位置はわからない。
Wikipediaによると、設備やダイヤの調整が間に合わず本輸送は11月21日にずれ込んだとあることから、
1947年の航空写真から位置を逆算すると設備の建設が間に合っていない可能性もあると考えられる。
1947.10.24
貨物側線がよく確認できる。
同様に糞尿輸送の貯留槽があった駅として、東村山駅がある。
東村山市史研究第22号(東村山市、2013年)によれば、東村山駅では糞尿輸送廃止後、跡地に西武鉄道の社宅を建設した。
1947年の航空写真を見ると、その社宅の位置には確かに白い長方形のプールのような建造物が確認できた。
以上より、東小平駅の貨物側線南東、道路に面した白い長方形の建造物が糞尿の貯留槽と推測する。
1947.11.14
3週間程度ではやはり変化はない。日の関係でよく見える。
1956.4.13
画質が悪く判断が難しいが、側線スペースはそのままに貯留槽関連の建造物がなくなったように見える。
東小平駅ホームはまだそのままか。
1961.9.5
駅ホームが撤去され、空き地となった。
貨物側線も完全に撤去され、建物が建った。
1974.12.26
ホーム跡地は空き地のままに、周囲に建物が建った。
貨物側線跡地は工場となった。
1979.10.8
1974年から大きな変化は見られない。
1984.10.26
1979年から大きな変化は見られない。
1992.10.10
1984年から大きな変化は見られない。
2008.5.6
貨物側線跡地の工場がなくなり、墓地となった。
東小平駅跡地は上下線とも空き地のままである。
東小平駅跡地は今も空き地のまま、西武鉄道が所有している模様。
貨物側線跡地は墓地の駐車場および公園へ転用された。
東村山駅とは異なり、糞尿貯留槽跡地は住宅には転用されなかったようだ。
数十年も経てば糞尿など誰も気にしないか。
航空写真は国土地理院ウェブサイトを出典とし、加工して作成した。
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・AF-S NIKKOR 28mm f/1.8G
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・Velbon El Carmagne 635
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